もう目を瞑ってでもたどり着けるだろう馴染みのある古い家は夜の闇に呑まれて消えかかっている。窓からもれ出る光が一切ないことが主の不在を告げていて、それは昨日今日のことではないのには足取りが重くなるのを感じた。玄関を開けてもいつもの明るいあの笑顔と声はないのだから、当分はさっさと家に帰るという選択肢はないだろう。もう少し長く喋っていればよかったな。陽介は家まで送ることを主張していたが、はそれをやんわり断った。 「そうか?あんまし無理すんなよ。お前がよければいつでも兄貴ごと俺ん家泊まっていいんだぜ」 底なしの温かい言葉と体温に思わず甘えそうになる。 「大丈夫、平気」 自分に言い聞かせるように言ったつもりだったけれど、口にした瞬間からかすかな後悔がさっとよぎっていた。 扉の前に立ってのろのろと鍵を探す。手提げのポケットに左手をつっこんで、探し当てた。街灯に鈍く光る銀色の鍵の先には白色の可愛らしいハート型のチャームが揺れている。同じ形のピンク色のものを持った妹のことを思うと胸から酸素が抜けた感覚がした。 鍵穴に鍵を入れて回す。少し固い感触にそぐわないカチャリという軽い音。取っ手に手をかけて横にスライドする。ガラガラガラ、と横滑りにドアは開いた。明るい筈の我が家は外より一段影が差していて、不気味ですらある。いつものように口を開きかけて、思わずつくんだ。そのまま一歩玄関に入ろうとしたがやはり思い直して「ただいま」と呟いて敷居を跨いだ。 「おかえり」 もちろん返事は期待していなかったものだから、心臓が大きく跳ね上がる。一瞬混乱して左右を見た後慌てて後ろを振り向くと、いつのまにか兄が立っていた。 「お、おにい!いつからいたの?いたなら言ってよ!」 早鐘のようになる心臓に思わず声がきつくなる。冷や汗をかく妹を見て兄は笑った。 「ごめんごめん」 見上げるの頭を優しくぽんぽんと叩いて、それから同じように柔らかい表情で口にした。 「ただいま」 「…おかえり」 の答えに孝介は満足そうな顔をして一足先に玄関に入って電気をつける。も急いで玄関に入って扉を閉めた。 「何食う?外食いに行くか?」 何も無いな、と冷蔵庫に首を突っ込む孝介の背に、は言った。 「一応ジュネスで出来合いのものいくつか買ってきたよ」 「でも飯ないぞ」 「あー…」 そうだった。いつも家に帰ってきたら菜々子がご飯を炊いていて、か孝介のどちらかが出来合いの惣菜を買って帰ってそれを食べていた。いつのまにかそれが当たり前になっていて、その当たり前がいろいろなところから崩されている事を改めて感じる。音も無く浸透した影に背筋がぞわっとして鼻の奥がつんとした。 「ねえ、おにい」 「ん?」 は俯いて自分のつま先を見た。床の板目をじっと見つめる。孝介は冷蔵庫を覗き込んだままだ。 「これからさ、毎日交代でご飯作ろ」 「うん」 「二人一緒でもいいからさ」 「うん」 「そんで上手くなってさ、菜々子が帰ってきたら三人で、ううん堂島さんも一緒に、あったかいご飯食べようよ」 情けなくも声が震えた。ず、と鼻をすすると孝介がぱたんと冷蔵庫を閉めて立ち上がり、しゅ、とティッシュを取り出しての鼻をつまむ。一瞬意図がよめなくて、どうすればいいのかとは孝介を見たが孝介は優しく笑っている。子供がすることじゃない、と思ったが観念して鼻をちーんとかんだ。 「よくできました」 笑ってティッシュをゴミ箱に投げる孝介のスネをは抗議の色で軽く蹴った。 ふたりだ、
2008/09/23
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